私の提唱する『戦略的開運ナビゲーション』としての占い。
その意図するところを書いてみました。
子どもの頃、夢中になって読んだ、児童文学の本。
その中の1冊のタイトルです。
その伝で言えば、私は『占い師になるつもりじゃなかった』のです。
立ち止まって、今の自分を眺めた時、天の采配の不可思議を感じます。
その詳細は、追って綴っていくこともあると思いますが、ここではちょっと端折って…
幼いころは、占い師になりたかった。
そんな私ですが、大人になるにしたがって、その想いは薄れていきました。
いつしか、占いなんて気休めじゃないの?的なやさぐれ思考まで持っているような時期もありました。
けれど、30代後半~40代前半にかけて、この世界に呼び戻されるような出来事がいくつも起こり…
ハッと気づいたら、占い師になっていました。
図らずも、幼いころの夢が叶ったわけですが、そこまでにたくさんのまわり道がありました。
私は誰?
それを知るための長い長いアウトワードジャーニー。
ちょっと遅すぎじゃない?なんでもっと早く気づけなかった?
そんなふうに思ったりもします。
でも、人生も折り返しを過ぎ、リターンジャーニーに差しかかった今、私は思うのです。
自分を知らなければ、「自分の人生」を生きることはできないと。
それを知るための、この果てしないまわり道だったのだと。
みんな、幸せになりたいとか、何がいい悪いとか、正しいとか間違ってるとか、言うけれど。
万人に当てはまる正解なんてないのです。
あってたまるか!です。
自分がどんな星のもとに生まれついて、その世界観の中でどう自分を表現するのか。
そこにフォーカスすることでしか、人生を理解することなんてできない。
人の数だけ「私」がいて、ひとりひとりは、宇宙の塵よりももっともっと小さい存在だけど。
小さな「私」、エゴに振り回されている自分を超えて、魂存在としての「私」を観ることができたなら、そこには違う世界、違う次元が広がっているはず。
私は、その物語を紡ぎたい。
あなたが誰かを教えるよ。
この生を決めた時、天の神さまとあなたとの間で交わされた約束、アカシャを、私が通訳するよ。
そして、あなたが天命を生きていくことができるように祈るよ。
すべてが思い通りになって、エゴが満たされれば、ずっと幸せでいられるかって?
そんなわけない。
そんな浅い開運、幸せなんていらないでしょ。
天命を知り、運の流れを知り…
それらを受け入れてなお、主体的に生きる。
波は高くても、人生という船の舵から、絶対に手を放さない。
そのように生きる人に、天は必ず報いてくれると信じているから。